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更新情報  美麻小中学校の画像  06:10:31
更新情報  地域の関わりを追加  06:10:25 

美麻の山村留学の始まり Edit

 美麻の山村留学は「育てる会」の山村留学事業を「受け入れる形」で行っています。

 始めは多くの実施地区と同様、複式学級になったり児童生徒が減少して学習効果が上がらないことを心配した当時の行政(議会も)や教育関係者が児童生徒の数を増やすために考えました。
保護者から要望されたものではありません。

 山村留学は制度的に確立していません。システムは千差万別で、当時は「何でもかんでも山村留学」と言いました。
行政や教育委員会の動向を察知した人は、肥満児や不登校対策のために「山村留学を利用」しようとしました。だから、地域の児童生徒の保護者は不安でした。

 平成3年、教育委員会はPTAや学校の先生を含む関係者で作った「教育問題懇談会」に「育てる会の山村留学を受け入れてよいか?」と問いかけました。
数多くの山村留学の中から、すでに八坂で活動していた「育てる会」を指定し、肥満児対策や不登校対策や問題児の矯正のための山村留学ではないことで保護者の不安に応えました。

 懇談会からの答申は「一方に児童の減少による教育効果の不安を感じる住民がいて、一方に豊かな自然環境下での教育効果を望む親がいる現状では幾多の困難を克服して山村留学を受け入れた方がいい」けれども「行政に児童生徒の増加対策を望む」と言うものでした。

 始めは「学校の児童数確保」が受け入れの最大要因でした。


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地域の受け入れの状況 Edit

 平成4年、育てる会は、八坂にある「やまなみ荘」に「八坂学園」と一緒に美麻学園を創立しました。
 平成17年度大町市に合併するまでは、村の教育員会が村側の窓口になり、学校を含めて「育てる会」の「長期の山村留学」を「受け入れる」ことを「村の事業」としたのです。
 受け入れに伴う育てる会への財政支援(550万円から800万円)や受け入れ農家の募集と支援(1泊800円)、美麻小中学校との調整等を教育委員会が行いました。

美麻学園の山留生達 Edit

 山留生は月の半分をやまなみ荘(センター)で八坂学園と共に過ごし、残りの半分を農家(里親)で生活します。
 1年間が単位です。農家では2人(1人にはなりません)から4人位の擬似兄弟と親子の関係を創り、里親(農家といいます)を「父さん」「母さん」と呼びます。
 センター生活中は八坂にあるセンターから大塩のバス停まで約5キロを歩いて美麻小中学校に通学し、農家生活中は地域の子供と一緒ですが、育てる会は歩くことを重要視して、自分のことは自分ですることも基本にしています。
だから、修学旅行やメンドシーノ(ホームページ試作/姉妹都市メンドシーノ))訪問の支度も自分でします。
 美麻小中学校は小中併設校で、標高952メートルの梨の木峰にあり、北アルプスを一望できる絶好の環境にあることが自慢です。
[添付]
学校と北アルプス(1)_3.JPG


山留生の四季 Edit

 4月、山留生は不安をいっぱい抱えてやってきます。じしゃの花(美麻で一番早く咲く花木です)を手に入園の集いで1年間の覚悟を披瀝します。
そして、テレビやゲーム、コンビニも、そしてお金を持たない生活に入ります。初めての徒歩通学にも挑みます。不安をもって新しい学校生活に入りますが、どの学級も少人数学校ですからすぐに仲間になれます。
1学期中は親の来村がちょっと制限されますが、5月には地域の運動会があり親を含めた地域との交流が始まります。
オタマジャクシやへび、見るものすべてに興味があり、歩くことにもすぐに慣れますますが、今までの生活が一変し、ストレスがたまるから唯一自由になる食事だけに集中する時期でもあります。中学生は部活がありますが、やる気さえあれば少人数ですからレギュラーの座は近いです。
 夏休みには帰省しますが、留学前の生活に戻るから、2学期の初めには大概ふっくらとした青白い顔で訪れ、また少し大変です。
 2学期は学校の運動会や梨の木祭です。美麻は小中併設の学校で、校長先生は1人です。だから中学生も今では珍しいですが運動会があります。梨の木祭も小中一緒です。親が学校に訪れる機会が増えます。
11月には学園が一番大事にしている「収穫祭」があります。すべての収穫に感謝する会で、「心の収穫」がいっぱい披露され、山留生の成長が実感できるときです。2日間にわたって開かれ、親子はもとより、農家(里親)や地域との交流もはかられます。
 秋は木の実やきのこなどが通学路でも取れますが、夢中になってしまい、山の中で迷子になって一夜をすごした事件もありました。その時は、住民の2割もの人が捜索に加わってくれました。
 雪は大抵12月の終わりからですが、最近は異常気象が当たり前になってしまって「積雪」の予想はつき難いです。
 ほとんどの山留生は雪で大きく変わります。防雪の長靴が必需品ですが、現地で用意したほうがいいでしょう。地域にふさわしいものが低価格で手に入ります。
除雪の体制は充分ですから、一般の生活に不自由はありません。
 3月、すべてを終えて修園します。修園の集い(修園式とは言いません)には1年間の成果を示す作文を披露します。これは結構「見もの(聞きもの」ですが、大概の子供は親に感謝する作文を書きます。
 継続するか退園するかを自分で決めます。小学生が自分のことを真剣に考えて結論を出しますが、その経過は感動ものです。
親に配慮して一旦は退園を決めた子供が親の許しを得て一瞬の内に継続を決めたケースがありました。


年度ごとの受け入れと農家の状況 Edit

平成(全)小3(全)4年(全)5年(全)6年(全)中1(全)2年(全)3年農家数
433 (19) 1( 9) 1(15) 1      1
577 (14) 1(15) 1(21) 1(12) 3(13) 1     3
613103( 9) 1(16) 4(18) 2(22) 2(14) 4     6
71578 (11) 3(17) 5(17) 1(23) 4(12) 2    5
81183 (14) 3( 9) 1(16) 3(21) 2(13) 2   5
915123(13) 1(15) 3(17) 5 (16) 3(17) 1(21) 2   5
1013103 (15) 1(12) 1(17) 5(10) 2(18) 4    4
11963(11) 2(19) 1(14) 1(11) 1(16) 2(11) 2   4
121073(11) 2(20) 2(14) 1(12) 2(14) 1(10) 2   4
131486 (21) 2(11) 3(18) 2(13) 2(14) 4(14) 1   5
1413112  (21) 2(12) 4(18) 2(12) 2(13) 3   5
151293(16) 1(20) 1(17) 2(20) 2(9 ) 1(19) 3(12) 2   4
1613103 (16) 1(23) 3(16) 1(22) 4( 9) 1(19) 3   4
171477 (16) 2(16) 2(22) 3(17) 2(22) 4( 9) 15

地域と山留の関わり(役割が変わってきた山留) Edit

 生徒数確保から始まった山村留学ですが、地域の受け止めが少し変わってきています。
 やりたいことを「我慢」して、やりたくないことも「我慢してする」ちょっと大げさに言えば「修行僧」のような生活をおくる「山留生の生活ぶり」が地域に与える影響が最近見直され始めています。
 山留を通じて親に感謝する山留生を、さしたる理由なくして親に反発し、子供におもねる風さえある親達が注目し始めました。
そしてそれらが、「より高い時点での山留生を求め」ています。
単に「数合わせの山留事業」から「地域の応援団としての山留事業」に変わり始めました。
 だから行政からの相応の負担が認められてきたのです。
 乱れた生活や不登校等には「より厳しい住民からの目線」があるから山留生は大変です。