わかたの棚田再生(保存)会の(今のところ)代表および事務担当 Edit

 22年の3月で山留の里親(農家)はやめたのだが、実は『親の山村留学(的なこと?)』の必要性を感じているから『農家の父さん』と言う呼び名を容認している。
 22年12月で『もろもろの野暮用から解放』されるから『棚田の再生一本に努めたい』と思うのだが、腎臓の機能が減退し、たんぱくや塩分制限の身の上で無理できなくなってしまった。 
 時にtakeyamaでもあります。