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麻布が正倉院に残されていた! Edit

 大和朝廷が支配権を広げた4世紀後半。国・郡・里の制度が導入され、租・庸・調という納税制度が確立しました。
 美麻村も信濃国の安曇郡となり、布などを「調」として献上していたようです。
 「信濃国安曇郡前科の真羊」と記された麻布は、現在も正倉院に残っています。

江戸時代、盛んだった麻栽培 Edit

 美麻村は松本藩大町組となり、麻の栽培が盛んに行われ美麻・八坂方面で生産される麻は「山中麻」の名で全国に販売されていきました。あまりに需要が高まったため、慶長14年(1609年)には他国から入ってくる麻商人による「山中麻」乱売を禁止する命令が出たほどです。

美しい麻の産地、美麻村誕生 Edit

 美しい麻の産地として知られたことから、その名のとおり美麻村が誕生したのは明治8年のこと。
 美麻は山間の寒冷地。地形も気候も作物を育てることが難しい環境の中で、麻は過酷な環境に最適な作物だったのです。
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美麻は村名のとおり青麻の生産が盛んであった。その時の青麻三貫目の送り状(写真:左)
明治41年4月、美麻村製麻組合による製麻風景(写真:右)
(村制施行百周年記念誌 美麻村の百年より)

昭和初期 Edit

 第2次世界大戦が始まると、軍需麻として麻は統制品となりました。
 良質な麻は軍用ロープの材料となり、軍艦の船体の鉄板の中に入れられ防弾用に使われるなど、非常に重要な役割を果たしました。供出した麻は厳重な検査を経て直接軍関係機関に送られ、その反動で一般の売買は禁止されました。
 当時、美麻産の麻の8割が軍関係で使われたことからも質の高さがうかがえます。

昭和50年代 途絶えた麻栽培 Edit

 戦後は、次第に麻の需要が減り、麻栽培は昭和50年中ごろ美麻村から姿を消しました。
(美麻村村勢要覧 平成4年発行より抜粋)

※麻栽培の様子は、平成に入って麻栽培の復活を検討した際の写真や「麻の館」の展示からうかがうのみです。

麻の復活へ新たな挑戦  Edit